【代表コラム】第4回目 外国人増加時代に、私たちができること―「最初の一歩」の重要性
PERSOL Global Workforce代表取締役社長 多田盛弘
はじめに:不可避な変化の中で
これまでのコラムにおいて、私は日本の人口動態の変化と、それに伴う社会構造の変容について繰り返し論じてきた。少子高齢化が進む日本において、労働力の確保のみならず、社会機能を維持するために外国人の受け入れはもはや選択肢ではなく、不可避の現実となっている。これは政策の良し悪しを超えた、数理的な帰結である。
しかし、異なる背景を持つ人々が急速に流入することは、世界中のどの地域においても摩擦を生じさせてきた。欧米諸国で見られるような社会の分断は、決して対岸の火事ではない。私は以前、この分断が「差別」という単純な悪意から生まれるものではなく、より根源的な人間の本能――他者と自己を区別し、群れを守ろうとする防衛本能――に基づいていることを指摘した。未知のものに対する警戒心は、生物としての生存戦略の一部だからである。
現代においては、この本能的な警戒心がSNSやマスメディアによって増幅されている。アルゴリズムが生み出すエコーチャンバー現象は、一部の極端な犯罪事例やトラブルを繰り返し提示し、私たちの確証バイアスを強化する。「外国人は怖い」「治安が悪化する」という漠然とした不安は、スマートフォンの画面を通じて確信に近い恐怖へと変質してしまう。このような時代背景と心理的メカニズムを前提とした上で、では、私たち日本人は具体的に何をすべきなのだろうか。本稿では、制度や法律といったマクロな視点ではなく、私たち一人ひとりが実践できる「行動」に焦点を当てて論じる。
「国」ではなく「個」を見る視点
筆者はこれまで、仕事や生活を通じて30カ国以上に滞在し、数えきれないほどの人々と関わってきた。その経験の中で痛感している真実がある。それは、「国による違いよりも、個人の資質による違いの方が圧倒的に大きい」ということである。
私たちはニュースや統計を見るとき、どうしても「中国人」「アフリカ人」「ベトナム人」といった大きなラベルで人々をカテゴライズしがちである。しかし、アフリカ大陸には、50以上の国があり、数千の民族と言語が存在する。それらをひとくくりにして「アフリカ人は〇〇だ」と語ることの乱暴さは、想像に難くない。
この「巨大な主語」による認識を解体する最も有効な方法は、実世界での「友人・知人」を作ることである。例えば、あなたに一人の親しいA国の友人ができたとする。すると、ネット上で「A国の犯罪が増えている」というニュースを目にしたとき、あなたの脳裏に浮かぶのは無機質な集団のイメージではなく、その友人の顔になるはずである。「そういう人もいるかもしれないが、私の知っている彼は違う」というリアリティが、ネット上の扇動的な言説に対する防波堤となるのである。

地域社会における「接点不在」の危機
地域で人がつながっていくためには、大きく4つの段階を経る必要がある。第一段階は「認知」である。これは地域に外国人が増えたことを認識する段階であり、比較的受動的に進む。問題は第二段階の「理解」である。未知の存在である外国人がどのような人なのか、具体的な「個」として理解するフェーズに移行するには、能動的な働きかけが必要となる。このハードルは極めて高い。しかし、ここに進まなければ、相互不信の罠から抜け出すことはできない。一度この相互理解の段階に到達すると、距離は一気に縮まる。そこから第三段階の「協働」——日常的なコミュニケーションの円滑化、地域イベントや清掃活動などへの共同参加——へと進み、最終的には第四段階である「共生」の可能性が開かれるのである。
現在、日本の多くの地域、特に地方都市において、静かだが深刻な問題が進行している。それは、この第一段階の「認知」から第二段階の「理解」への移行が起こらないまま時間だけが経過している「接点のない並存」である。地方に行くと、地域の方々から「最近、見たことのない外国人が増えて怖い」という声を聞く。一方で、その地域に住む外国人の方々に話を聞くと、「誰も話しかけてくれない」「地域との関わり方が分からず孤独だ」という切実な声が返ってくる。ここにあるのは、悪意ある対立ではなく、相互の「不可視化」と「疑心暗鬼」である。
同じ地域に住んでいながら、挨拶もせず、言葉も交わさない。そのような状況が続けば、日本人は彼らを「得体の知れない不気味な集団」として警戒し、外国人は日本人を「冷淡で排他的な人々」として心を閉ざす。この相互不信のスパイラルは、放置すれば必ず「パラレルコミュニティ(並行社会)」の形成へとつながる。
パラレルコミュニティとは、同じ物理的空間にいながら、社会的に完全に分断されたコミュニティが存在する状態を指す。そこでは日本語が通じず、独自の経済圏やルールが形成され、行政の手も届きにくくなる。欧州の一部で見られるような、警察さえ介入を躊躇するようなエリアが生まれる一歩手前が、この「接点不在」の状態なのである。
【事例1】欧州におけるパラレルコミュニティの現実
パラレルコミュニティの典型例として、フランスのパリ郊外やスウェーデンのマルメなどに形成された移民集住地区が挙げられる。これらの地区では、数十年にわたる移民の流入と受け入れ社会との接点欠如により、深刻な分断が生じた。特にフランスの一部郊外地区(バンリュー)では、失業率が50%を超える若年層が多く、フランス語を十分に習得できないまま成人する者も少なくない。地区内では母国語が日常言語となり、現地の商店や飲食店も移民コミュニティ向けのものばかりが並ぶ。
2005年にパリ郊外で発生した大規模暴動は、こうした状況の帰結である。当初は警察と若者の衝突から始まったが、瞬く間に全国300以上の都市に広がり、3週間にわたって続いた。約9,000台の車両が放火され、公共施設や学校も破壊された。この事件が示したのは、同じ国に住みながら「フランス社会の一員」という意識を持てない若者たちの存在であった。彼らは社会から排除されていると感じ、逆に社会への帰属意識を失っていた。教育、雇用、住居といったあらゆる面で格差が固定化し、世代を超えて継承されてしまったのである。
重要なのは、これが「移民の問題」ではなく、「接点不在が生み出した分断の問題」だという点である。初期段階で地域社会との接点があれば、言語習得も就労も円滑に進み、次世代への負の連鎖も防げた可能性が高い。しかし、住宅政策によって移民が特定地区に集中配置され、受け入れ側の住民も関わりを避けた結果、修復困難な溝が生まれてしまった。
【事例2】日本における萌芽:群馬県大泉町の教訓
日本においても、パラレルコミュニティの萌芽は既に見られる。代表的な例が、群馬県大泉町である。人口約4万人のこの町では、1990年の入管法改正以降、ブラジル人を中心とする南米系外国人が急増し、現在では人口の約20%を外国人が占めている。製造業の労働力として受け入れられた彼らは、当初は「一時的な出稼ぎ」と考えられていたが、長期滞在化・定住化が進んだ。
町内には、ポルトガル語の看板が並ぶ商店街が形成され、ブラジル食材店、南米料理レストラン、ポルトガル語専門の不動産業者や法律事務所が立ち並ぶ。一見すると多文化共生が実現しているように見えるが、実態は日本人コミュニティと外国人コミュニティが並存しているだけで、接点は限定的である。子どもの教育においても課題は深刻で、日本の学校に通う外国籍の子どもたちの中には、日本語が十分に理解できないまま授業を受けている者も多い。一方、ブラジル人学校に通う子どもたちは、日本語をほとんど習得せずに育つケースもある。
2008年のリーマンショック時には、この構造的問題が顕在化した。多くの外国人労働者が職を失い、行政サービスへのアクセス方法も分からず、支援情報も日本語でしか提供されなかったため、孤立する家庭が続出した。中には家賃が払えず、電気・ガス・水道を止められながらも、どこに相談すればよいか分からずに困窮するケースもあった。日本人住民の中には「税金を払っていないのではないか」という疑念を持つ者もおり、外国人側は「差別されている」と感じるという、相互不信の構図が生まれた。
しかし、大泉町は欧州の事例とは異なる道を選びつつある。町は多文化共生推進プランを策定し、小学校区ごとに日本人住民と外国人住民が顔を合わせる交流イベントを定期的に開催し始めた。防災訓練や運動会、夏祭りなど、「共通の目的」を持った活動を通じて、徐々にではあるが相互理解が進んでいる。ポルトガル語と日本語の両方で情報提供を行う体制も整備され、行政窓口には通訳が常駐するようになった。完全な共生にはまだ距離があるが、「手遅れになる前に手を打つ」という姿勢が、欧州の轍を踏まないための鍵となっている。
町内会レベルでの実証実験:小さな交流の力
前回のコラムでも触れたが、筆者は厚生労働省の地域外国人材受入れ・定着モデル事業で、日本人住民と外国人住民の共生モデル事象事業をいくつか実施してきた。その中で最も効果が高く、即効性があったのは、大規模の異文化交流イベントではなく、「町内会レベルでの小さな交流」であった。
ある地域では、毎年町内会で行っているクリスマス用のペットボトルイルミネーションの作成イベントに、ある地域では、地元の綱引き大会に外国人住民を招待して交流を実施した。共通するのは、日本人と外国人が交流するために何か特別な企画を実施するのではなく、地域で通常行われているイベントに外国人を招待したことである。
大規模な異文化交流イベントのように非日常で交流するのではなく、日々の生活の場で日常のイベントの中で交流することで、特別な存在ではなく双方が同じコミュニティのメンバーとして理解が深まるのである。このようなイベント効果はその後のアンケートで如実に表れており、これまで未知の存在としてお互い距離を置いていたのが、日常的に挨拶や声をかけるようになり、同じ住民として距離が近くなったという声が双方から寄せられた。
また、イベントを通しての交流以外にも、お互いが実際に接して理解をすることにより、関係が改善される事例もある。ある地域で東南アジアの男性が夏に上半身裸で歩いているということで、地域住民から不安と苦情が寄せられたことがあった。このままの情報が独り歩きすると地域の外国人の不安を煽る一因となるような出来事である。しかし、この事例ではそのような結果にはならなかった。外国人の当事者に話を聞くと、暮らしていた母国の地域では上半身裸で夏に歩くことは珍しいことではなく、日本のマナーに反することは知らなかったとのことであった。このため、苦情の連絡をした家庭に外国人と訪問し、日本のマナーを知らないため周りを不安にさせるような行為についての謝罪をしに行ったところ、その家庭も日本に来たばかりの外国人の状況やマナー違反を意図しない行為ということを理解し、その後は外国人に野菜を定期的に分けてくれるような良好な関係を築くことができた。
どの国の出身であっても、直接話してみれば、家族を心配し、日々の生活を懸命に生きている一人の人間であることに変わりはない。筆者の現地経験からも断言できるが、人間の本質的な喜びや悲しみに国境はないのである。

今、私たちが踏み出すべき「最初の一歩」
日本は今、歴史的な過渡期にある。世界的に見ても極めて同質性の高かった社会に、急速に多様な背景を持つ人々が入り始めている。この変化の初期段階である「今」どう動くかが、10年後、20年後の日本の社会像を決定づける。行政や企業経営者の方々におかれては、ぜひ、こうした草の根レベルの交流を後押ししていただきたい。多額の予算をかけたイベントよりも、日常的な挨拶や、社内での雑談を推奨する文化作りこそが重要である。職場において、外国籍社員を単なる「労働力」として扱うのではなく、「チームの一員」として接点を持つことが、離職率の低下や生産性の向上にも直結する。そして、この文章を読んでいる個人の皆さんへ提案したいのは、明日からできるごく小さなアクションである。
皆さんの会社や地域に外国人がいたら、まずは挨拶からで構わない。「おはようございます」「お疲れ様です」と声をかけてみてほしい。もし機会があれば、「出身はどこですか?」「日本のご飯には慣れましたか?」と一言付け加えてみてほしい。その小さな「最初の一歩」が、相手にとっては孤独な異国生活における救いとなり、あなたにとっては「得体の知れない外国人」から「隣人の〇〇さん」へと認識が変わるきっかけとなる。
おわりに
国と国、価値観と価値観という大きな話の前に、地域の知人、友人となること。この誰にでもできる人間的な営みの積み重ねこそが、最強の安全保障であり、地域活性化の鍵である。分断か、共生か。その分岐点は、政策決定の場にあるのではなく、私たちの日常の、ほんの些細なコミュニケーションの中にある。恐怖に煽られて心を閉ざすのではなく、知ることから始める勇気を持ちたいものである。
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